光夫人との婚姻

さて、官兵衛と正室光夫人との結婚です。光夫人は幸円という名で親しまれてますが、光(てる)の方の表記で行きましょう。

光は官兵衛最初の主君、小寺政職の姪に当たりましたが、養女となって官兵衛に嫁ぎます。昔から結婚というのは同盟や人質の意味合いが強く、政治的な面の方が色合い濃く出ている物でした。官兵衛も有力者の娘として光と結婚します。

余談ですが織田信長は身内愛が強い人間だったのか、妹達を政治の駒として使用せず、信頼できる部下と結婚させたみたいですね。例外:お市の方

 

さて光に話を戻します。光は体格は官兵衛より大きかったようですが、才色兼備の素晴らしい女性として黒田家でも褒め称えられています。名武将の陰にはいつでも良妻あり、がつきものです。政略結婚ではあったものの官兵衛も光以外の妻は持たず、仲睦まじい夫婦だったのでしょう。

永禄10年(1567年)、官兵衛は光と祝言を挙げました。官兵衛22歳、光15歳。

この日官兵衛の父、黒田職隆が謝辞の言葉を述べた後、隠居をほのめかす言葉を加えました。周囲は息子の結婚で感極まってつい口にしたのだろうと思っていましたが、職隆は44歳の若さで早々に隠居。家督を官兵衛に譲ってその後は息子を後ろからバックアップしていきます。よき父とよき妻に支えられ、官兵衛の飛躍が始まっていきます。

その後うっかりにより多大な迷惑を被るとか言っちゃいけない

 

黒田 官兵衛?孝高?

こんにちは。本日も引き続き黒田官兵衛孝高についてです。

ですがここで少し豆知識。

「黒田官兵衛孝高ってどういうこと?どこまでが名前?」

「黒田官兵衛が名前じゃないの?」

そんな疑問がある事と思います。

 

ここで苗字、仮名、諱(いみな)についてご説明をば少し。

苗字は名字、家の名前で、姓に当たります。仮名は仮の名前、もしくは通称になります。そして諱は本来の名前、親から授かった名前です。ですが当時、本来の名前で呼ぶ事はとても失礼な事であり、主君や身内以外では許されない呼び名でした。

官兵衛の場合は「黒田」が苗字、「官兵衛」が仮名、「孝高」が諱になります。

なので黒田孝高ではなく、黒田官兵衛と呼ぶのですね。一般的に「黒田官兵衛」の方で呼ばれている事が多いので、このブログでも黒田官兵衛で行きたいと思います。

因みに苗字、仮名、通称、諱の他に前回出た「幼名」。

出家したら「法名」、キリスト教に入信したら「洗礼名」、役職で「冠位名」、ちょっと違いますが「改名」などもあり、戦国武将は名前があれこれあって覚えるのが大変です。

因みに九州のキリシタン大名、大友宗麟の宗麟は出家名ですので、キリシタン大名なら「大友ドンフランシスコ」と名乗るのが正しくなります。

漢字だと「不龍獅子虎」です。何かやんきーみたいだなおい

さて、そんな官兵衛の名が歴史に刻まれだすのは結婚数年前くらいからが多いです。

次回はお光夫人との結婚話前後を紹介しましょう。

 

 

水の如し、黒田官兵衛

こんにちは。今回からは戦国時代きってのうっかり将、黒田官兵衛とその周囲の武将達を紹介していきますね。

黒田官兵衛と言えば、今年のNHKの大河ドラマで岡田准一さんが演じる「軍師官兵衛」で爆発的に知名度が上がった武将ですが、歴史好きな方々の中では昔から人気の高い武将の一人です。

ですが、そんな彼の幼少期の逸話は残っているものがあまりありません。今でいう成人、元服してからの逸話で圧倒的に占められているんです。

そんな官兵衛は1546年11月29日、播磨の姫路にて誕生しました。

この時、雪が降っていた事から「英雄の生まれる兆しあり」「家紋繁盛の兆候」と記されてあります。ですが此方の出典は「黒田家譜」からのものであり、黒田家自身で作成した記録の中の事なので、褒めちぎられているのはやり過ぎ正直当然の事かな、と(汗

というか生まれた時に日が昇ったとか、身ごもった時に母親がお腹に太陽や月が入る夢を見たという良い兆候があるのは他の武将でも良く聞く話で戦国時代では割と良くあること戦国時代にいかに英雄が多く誕生したか、という裏付けでもありますね!

そしてこの官兵衛、幼名:万吉は日々鍛錬を積んで、数百年以上たった今でも歴史家に愛される武将の一人となっていくのです。

このブログではそんな黒田官兵衛の生涯と逸話を暫く紹介していこうと思います。勿論官兵衛以外の武将達の紹介もやっていくので、楽しみにして下さいね。