名人久太郎・配下は適材適所である

さて、前回ご紹介した名人久太郎こと堀秀政。彼は家康と秀吉が戦った小牧・長久手の戦いで秀吉の甥、羽柴秀次のお目付役として参陣。背後を突かれて徳川軍に攻撃を受けるも、見事に反撃して陣を立て直しました。この戦上手な事から名人久太郎と呼ばれた秀政ですが、その逸話の数々はどれも秀逸なもので、黒田官兵衛同じく配下武将を使うことに長けており、慕われていたようです。

その秀政の逸話を今回から、少し寄り道して紹介していきます。

今回はそのひとつであるお話。秀政の家臣には極めて泣き面の男がいた。いつも常日頃から目から涙を流し眉をひそめている男で、家中の者達からも嫌われていました。いつも特に理由もなく涙を流していれば、まぁ仕方のない事かもしれません。そのため秀政に仕えていた者達がある日溜まりかねたのか秀政に物申しました。

「あの男の顔色は大変不吉で、離れて見ていても鬱陶しい人間です。あのような男には暇を出すべきです!」

だが秀政、それにこう答える。

「その事であるが、他の家の法事や弔いの使者に使わすにはあの男ほど適した人間はいない。大名の家は色々な人間を雇っておくべきものなのだ」

そう返され、家臣達は以後この事に文句は言わなくなったと言います。実際にこの男を葬式の使者に出して大成功したとも言われます。

名人久太郎、配下は適材適所を語る、というお話です。

 


2014年3月7日 名人久太郎・配下は適材適所である はコメントを受け付けていません。 黒田官兵衛