志摩姫の悲劇

前回の光との婚姻の話と前後しますが、今回は官兵衛の妹の婚姻話です。

ですがこの話、官兵衛の婚姻話とは違い、悲劇の結末を迎えています。

 

永禄7年(1564年)、室津の浦上清宗に官兵衛の妹姫が嫁ぐ事になります。これは当時落ち目であった浦上家として、黒田家と縁組をすることによる再起を図ったものだったのでしょう。この官兵衛の妹姫が志摩姫と呼ばれています。

しかしこの婚礼当日、敵対する龍野城主・赤松政秀に攻められ、父・浦上正宗、婿・浦上清宗、そして花嫁となった官兵衛の妹、志摩姫も討ち死にするという悲劇で終幕します。女性の身でありながら志摩姫もまた武器を取り、奮戦したのでしょう。 (但しこの年代は、色々な文献により1566年とするものもあります。)

その後、官兵衛はこの赤松久秀の軍勢を永禄12(1569)年に、二度にわたって撃退して名を上げて行くのですから、悲しく複雑な話ではありますね…。

因みに室津では、この非業の死を遂げた花嫁の鎮魂のために、雛祭りを延期するようになったそうです。 これが旧暦の八朔(8月1日)に行われる八朔の雛祭りです。

 

大河ドラマでもこの逸話が元になって、配役を変えて行われていましたね。(大河では官兵衛の幼馴染が志摩姫の役になっていました)

こんな風に歴史を少し知っておくとちょっと面白く見れますので、気になったら調べてみるのはおススメですよ。