本能寺を知った毛利家家中

前回の記事で語った清水宗治による見事な切腹が行われた日の夕刻、その情報は毛利家に届きました。「織田信長、本能寺にて明智光秀の謀反により切腹」。この情報に毛利家の人々、特に毛利家の二男である吉川元春は大激怒しました。秀吉にまんまと謀られ、大事な家臣を切腹にまで追い込んでしまったからです。

すぐさま講和を破り追撃すべし、と唱える元春を抑えたのは毛利家三男小早川隆景その人。「墨が乾くよりも早く約束を反故にしては不義理」と主張し、結果として毛利家は追撃を行う事はありませんでした。この辺は官兵衛の読み通りになりましたね。

この時隆景が追撃を避けたのは秀吉への義理であったのか、それとも秀吉に恩を売るためであったのかは定かではありません。ですがその後、秀吉はこの時の恩を深く感謝して隆景を五大老に取り立てるなど厚遇しています。その一方、この件で秀吉に深く恨みを抱いたのか、元春の方は早々に隠居。これは秀吉に会いたくなかったから、とも言われていますので、よほど嫌悪していたのかもしれません。

そんな毛利両川、吉川小早川ですが、黒田官兵衛とは長い友人付き合いがあり、中々縁深い人達でもあります。その件につきましてはまたその逸話の紹介の折にご説明いたしましょう。さて一方山崎の地で睨みあう秀吉と光秀、勝利者となるのは一体どちらか?

歴史見りゃわかるとか言わないよ!