荒木村重。それってどうよ?

さて信長に反旗を翻した荒木村重ですが、その後どうなったのか。

如何なる事情かは知りませんが(理由は諸説ありますが)、信長に謀反を起こした荒木村重。しかし部下の高山右近らは戦が始まるや否やすぐさま信長に寝返った上に、主力として戦う予定の村上水軍は織田家渾身の鉄甲船にボッコボコにされるというこの先嫌な予感しかしない余り幸先の良くないスタートで謀反は始まります。

その後、何故か村重はわずかな手勢と共に有岡城から逃亡。理由についてはこれまた不明ですが、籠城戦の最中に大将だけで逃げるとは何があったのか…。その後、一年ほどで有岡城は降伏。残っていた家臣達も信長との約定を破って逃げ出したので、荒木村重の一族郎党は処刑される事になりました。しかし当の本人や彼の息子は生きていて、なんか…もう…

その後彼もまた毛利領地に落ちのび、村重という名を捨てて僧になりました。

その後、彼は信長の死後は堺に行き、商人の娘と結婚して今度は茶の道などに人生を見出したようです。千利休とも交流があり、利休七哲の一人に数えられています。彼の人生には、いったい何があったのでしょうね。

さて、タイトルの意味ですが…彼の名前は僧になった後「道糞」となりました。自分で道端の糞を自嘲して名乗っていたそうですが、本当に何があったのか…。

それについては彼にしか分かりません。人生というものは、本人にしか分からないものですね。


2014年2月15日 荒木村重。それってどうよ? はコメントを受け付けていません。 黒田官兵衛