まさかの総大将の撤退

城を落とせないまま1ヶ月が過ぎます。流石に業を煮やしたのか大友宗麟は大友軍の名将、立花道雪・高橋紹運に出陣を要請、これにより猫尾城攻めの形勢は一気に逆転します。

両将は筑前より一直線に猫尾城へ進軍、立ちふさがる竜造寺・秋月連合軍を片っ端から蹴散らしていき、龍造寺から派遣された増援軍も激戦の末に破ります。(但しこの激戦で道雪の弟・戸次次右衛門らが戦死・・・)、到着するや否やすぐさま猫尾城攻略開始。そしてこの猫尾城もすぐに落城。城主・黒木家永はなんと13歳の娘に介錯され自害しました。

その後も山下・谷川・辺春・兼松・鷹尾などいくつもの城を攻略していく。正に大友家風神・雷神の電撃戦。だが龍造寺も更なる援軍を出してきており、柳川城で戦線は膠着するのだ、が。

その柳川の退陣中、総大将副将の田原親家・親盛の大友宗麟の息子達が撤退。そのまま豊後まで引き上げていきました。この時の理由が、

「自分達が頑張っても手柄は全部道雪と紹運のものじゃん。これじゃおもしろくない」

・・・・見ているだけで目眩がしてきますが、これを陣中で聞いた道雪もまた、いやそれ以上に衝撃が凄かったでしょう。流石の中心道雪もこれには「豊後も此処まで落ちぶれたか」と涙を流したと言います。