加久藤城攻防戦!

島津義弘が家臣により起こされたのは加久藤方面の夜空が炎で赤く染まっている時だった。伊東方による放火と、挑発行動です。ですがすでに間者を伊東領内に送り込んでこの行動を知っていた義弘の行動は落ち着いたものでした。戦の勝敗は戦う前から決まっているとは良く言った物です。

義弘は冷静に狼煙で急を知らせると兵60人を加久藤への救援に出し、40人を白鳥山野間口、50人を本拠地の古溝に伏兵として潜ませます。そして有川貞真に城を任せ、自身も130人の兵を率いて討って出ます。

さてその頃加久藤城へ伊東祐信は攻撃を開始していましたが・・・夜の暗さで間違って城ではなく、樺山浄慶の屋敷を攻撃してしまいました。ですが浄慶ら父子3名は大量の将兵がいるように見せかけながら伊東兵を攻撃、奮戦するも討ち取られてしまいます。がここで要らない労力と時間を割いた上に負傷をさせられた伊東兵。更に進むも狭い道を進んだ上に登り口は断崖で上手く進めず、弓矢や投石に苦しめられます。ここで加久藤城を守る川上忠智が討って出てきた上に、援軍に駆けつけられて祐信は退却を呼びなくされただけでなく、伊東軍の名だたる武将を討ち取られてしまいました。

伊東軍は相良軍の援軍を待って盛り返そうとしますが、事前に義弘が立てさせていた大量の幟旗を見た相良兵は島津の大量の援軍が来ていると思いこみそのまま撤退していったようです。


2014年4月3日 加久藤城攻防戦! はコメントを受け付けていません。 九州