南九州では

さて今回から再び九州動乱へ。北九州で大友家が中国地方の毛利家介入でドンパチしている時、南九州では島津家が台頭していきます。元々島津家は守護職といって、南九州を治める役割を担っていた名家でもあります。

ですがこの台頭していった島津家は本家ではなく、元々は分家の立場にすぎなかった家なのです。

戦国時代では各地で動乱があった事はもう周知の事実ですが、もちろんこの南九州でも激しい動乱が起こっていました。小さな家同士が争い、戦っていたんですね。各地で小勢力が台頭していったものですから、争いに巻き込まれて島津家も一度は衰退の道をたどります。ですがここで現れたのが島津忠良こと、島津日新斎その人です。彼の力により、島津家は元の力を取り戻していくのです。もちろんこうやって跡継ぎが決まっていくとやはり起こるのが跡目争いなのですが、合戦やら外交戦やら色々な戦いを経て島津家は日の本に名高い名家へと登っていくのです。

しかしこの島津日新斎(出家名)、分家の立場の人間だった彼がどうやって本家を相続するに至ったのか。そこには色々な大人の事情と、思惑が入り乱れています。次回はこの件について少し触れていきましょう。ではお楽しみに!

 


2014年4月1日 南九州では はコメントを受け付けていません。 九州