大友家の状況・・・

さて大友家の話に移りましょう。耳川の戦いの後、大友家は衰退の一途をたどっていました。島津家に敗北しただけでなく歴戦の名将達も数多く失ってしまった事もあり、龍造寺や今だ家の再興を狙う秋月勢に寝返る国人達が続出。そんな中、大友方に残った数少ない者の一人である問註所統景から大友家に援軍要請が入ります。

今こそ大友家の威光を回復する時と、宗麟の次男・田原親家と三男の親盛を大将と副大将に据えて約七千人の軍勢が筑後に向かっていきます。が、人間そう簡単にうまくいかない。

初戦の猫尾城攻略戦から苦戦した大友軍。この時猫尾城を守護していた黒木氏には既に龍造寺家からの援軍が到着しており、鉄砲隊が激しい攻勢をかけてくる。何とか城を落そうとするも、この援軍の攻撃を防ぎきれずどうしようもない。この時、実は大友家にはまだ耳川の戦いの敗北が後を引いていたのです。

耳川の戦いで数多くの歴戦の武将達が死んでしまい、この時の大友軍は総大将と副大将を始め、若い武将達ばかりなのでした。対して龍造寺家は当主である隆信は討ち取られたものの、まだ鍋島直茂がその後を引き継いで奮戦し、各地に檄と命令を飛ばしていました。これに若い武将達だけでは対抗しきれなかったのでしょう。攻めあぐねたまま、無情に時ばかりが過ぎていきます。