宴会の席での失言

島津日新斎により島津家は統合されていき、島津は種子島に伝来した『鉄砲』を合戦に組み込んでいく事で大名として力をつけていきます。

そして1561年。島津家の当主は島津日新斎から、その息子・島津貴久へと移り代わりますこの頃、すでに薩摩は島津家の統治によって安定していました。因みに島津貴久こそが戦国大名で一番早く鉄砲を合戦に取り込んだ武将とも言われており、戦国のサンデーサイレンスというあだ名で親しまれています。この意味は分かる人には分かりますが、分からない方の為にまた別の記事でご紹介しましょう。

さて島津家も安定してきた昨今、ある日大隅を支配する大名家 肝付家と島津家 の間で宴会が催される事になります。 肝付家と島津家は友好的な関係で、互いに娘を嫁がせたりして縁戚関係にもありました。島津家が薩摩の支配を固める際の戦いでも肝付家は支援を行ってきています。ですがこの宴会で大きな諍いが起こってしまいました。

一説によると酔っぱらった島津家の家臣が「鶴の吸い物が欲しい」と言った事が発端。鶴は肝付家の家紋なんですね。これに肝付家の家臣が「次の宴会では狐の吸い物を出してくれ」と売り言葉に買い言葉。狐は島津家の守り神です。これから喧嘩はヒートアップ、合戦に至りました。

もちろん、これだけが発端だとは考えにくいので、実は両家には溝があったのかもしれません。それが酒の勢いを借りて表に出てしまったのでしょう。げに恐ろしきは、酔っ払いですね。