岩屋城の戦い

岩屋城に攻め寄せる一軍を率いるのは島津家当主・島津義久の従兄弟・島津忠長。忠長自身も名将でありながら、率いる兵はなんと二万人余り。一説には五万人とも言われていますが、流石にこれは少し多すぎではなかろうかと思ったり・・・。(島津家の日向侵攻に合わせて、各地の豪族達が集合する形になって人数が多くなったそうです)

これに対する高橋紹運の岩屋城の城兵は763人。(南無三と覚えて頂くと覚えやすい)

今だ嘗てないほど人数の差は絶望的です。しかし紹運も何も考えなしにこの城に籠った訳ではありません。

この岩屋城は島津勢が最初に攻撃する拠点であり、ここを迂回されると次に控えるのは息子達の守る立花城と宝満城。立花城は盟友の道雪の城であり、息子の宗茂がいる。宝満城には息子の統増のみならず、紹運の妻や岩屋城から逃げ出した女性達や子供といった非戦闘民族が多く籠っていました。岩屋城を抜かれてしまえばこの二つの城に島津軍は襲いかかり、膨大な被害が出るでしょう。そうすれば大友本家を守る事ができません。

ですがここで島津家に大きな被害を与えておけば、秀吉の援軍が間に合うかもしれません。

紹運は玉砕覚悟で、岩屋に籠った城兵達と島津家と戦う覚悟を決めたのでした。全ては主君大友家の為に、高橋紹運の名を知らしめた戦い・岩屋城の戦いが開始します。