立花道雪の死

勢力を増しながら北上を続けてくる島津家。対する大友家は有力な家臣団を失っている事もあって必死の抵抗をするも、島津はじわじわ攻め上がって来ます。長年敵対していた秋月家も島津方につき、大友家は最大のピンチを迎えます。

そんな中、あの名将・立花道雪が陣中で体調を崩します。この時良大社で病気平癒の祈願が行われるも、道雪の体調は戻らず。道雪の盟友であり、息子を養子に出した高橋紹運もこの時看護にかり出たとも言われていますが、それでも道雪の体調は悪化の一途をたどりました。

そして九月の十一日。道雪は陣中で病死しました。享年七十三歳。大友家に忠義を尽くした名将がまた一人、この世を去ったのです。

さてここで陣内では問題が起きました。もちろん道雪が死んで大友家のこれから、島津家にどう対抗していくかも大変ですが、それは道雪の最後の言葉、遺言に理由があったのです。道雪は娘・誾千代や息子・宗茂の体調気づかいの返事に、そして死期を悟って周りの者達にこう言い含めていました。

「我が遺体に甲冑をつけ、敵の方へ向けてこの地に立ったまま埋めよ。もしこれを破らば、お前達の元へ悪霊となって祟ろうぞ。」

死して尚、道雪は大友家を守るように戦おうというのでしょうか。その忠義は立派ですが、周囲の者達はこれに頭を悩ませていました。


2014年4月25日 立花道雪の死 はコメントを受け付けていません。 九州