親子の交わした最後の会話

また、降伏勧告などを行ったのは島津家だけではなく、豊臣家の名軍師・お久しぶりの黒田官兵衛や、息子の立花宗茂からも、岩屋城は地の利が悪いので守りにくいので宝満山城で籠城戦を行ってはどうかいう手紙が届いています。

しかし紹運はそれを承諾せず、その使者を丁重に持て成して返事を持たせ、息子の元へ返しました。

「宗茂の言う所は至極もっともであるだろう。だが地の利は人の和に敵わずとも言う。いくら堅固な城に籠っても、人の心が一つに纏まらねば意味をなさぬ。我が家は今や、滅びの時を迎えているが、これは世の流れ。滅びの時が来たのならば如何なる堅固な城に籠ったとしてもこれからは逃げられはしないだろう。それならば慣れ親しんだ城を枕として、武士の本懐を遂げて死ぬ事こそ本意である。この岩屋の城に籠って戦えば十日ほどは島津を足止めして、敵の三千ほどは討ち取って見せよう。さすれば次に立花山城に攻め入ったとしても更に日を稼ぎ、秀吉公の援軍も到着して宗茂は生きながらえる事が出来よう。我が命が此処に果てようとも宗茂さえ無事であるならば今は無き道雪様に対しても面目が立とうというものである。」

これが、高橋紹運、立花宗茂の最後の会話となりました。