鍋島直茂の奇襲策

さて話は少し戻って援軍としてやってきた大友宗麟の弟、大友親貞。援軍を得た大友家は早速龍造寺家の本拠地である佐賀城への総攻撃を開始する・・・と思いきや、そこで二日ほど現状維持の状態になるのでした。

その全ては援軍の大将としてきた親貞の指示によるものでした。親貞はことのほか占いの凶兆を気にしており、8月の20日に総攻撃を開始するように指示を出しました。まぁ此処までなら良くある話(なのかな?)のですが、なんと総攻撃の前日の夜に親貞はやらかしてしまいます。

この日に親貞がやった事、それはこの戦の前祝いと称しての大宴会でした。さすがは大友宗麟の弟である。

この件で大友家の士気は緩緩、軍備の状態も緩緩の状態になってしまったのですが、その情報を入手したのが龍造寺家家臣であり、龍造寺隆信の従兄弟に当たる鍋島直茂でした。降伏の意見が出る佐賀城内で彼は畳を切って(龍造寺家では誓いの証に畳を切る風習があります)奇襲策を宣言、「大友家は我らを侮り、腑抜けている。今夜許しを頂けるならば必ずや夜襲にて勝利を献上仕る」との宣言をしました。

当初この意見は無謀であると却下されそうになるものの、隆信のはは慶誾尼の鼓舞により取り入れられ、鍋島直茂はその夜の内に奇襲隊を率いて密かに出陣します。