高橋紹運の覚悟

島津方も岩屋城を攻め始めますが、紹運の守る岩屋城は士気も高く、兵の抵抗も激しいものでした。何とか被害を最小に抑えるべく、再び島津方は降伏交渉を行います。しかし今回のは降伏勧告とは違い、高橋方に最大限に譲歩した内容でした。降伏ではなく、和議を結ぼうという考えです。そこには名将・高橋紹運と、その紹運に命を捧げんと奮戦する将兵達の命をも救おうという考えもあったのかもしれません。

ですが紹運はやはりこれも丁重にもてなした上できっぱりと断り、将兵一同城を枕にして討ち死にする構えであると伝えます。そして島津忠長はこれに対し覚悟を決め、岩屋城へ総攻撃をかける事を決めました。

紹運はこの際、高櫓から指揮を取り、数珠を片手に討ち死にする死者を弔いながら奮戦しました。そしてその後は自らも打って出て、落城寸前に自刃して果てました。その介錯は配下の吉野左京介が行い、自身も返す刀で後を追ったと言われています。

岩屋城に籠った763名は全て討死、または自刃。これに対して島津家の被害は5000以上にも及ぶ大打撃でした。城兵達は皆、最後まで忠義を尽くして戦い続けたのでしょう。

高橋紹運辞世の句は

「流れての 末の世遠く 埋もれぬ 名をや岩屋の 苔の下水」
「屍おば 岩屋の苔に 埋みてぞ 雲ゐの空に 名を止むべき」

岩屋にて壮絶な最期を遂げた高橋紹運以下763名は、今もなおその名を語り継がせています。


2014年4月28日 高橋紹運の覚悟 はコメントを受け付けていません。 九州