「筆にするのも憚られる」

さて何度か名前が出てきた、将軍足利義稙。彼は13年にも及ぶ放浪生活をしたので流れ公方とも呼ばれる人物です。彼が流れ公方に至ったのは明応2年4月22日、右京兆・細川政元によるクーデター、いわゆる明応の政変が起こったからでした。京では義稙派の畠山政長、葉室光忠などの屋敷が次々と破壊されたとあります。

その時河内に出陣していた将軍足利義材の後室など、将軍家の女性たちは多くが義稙の姉が尼として入っている通玄寺に避難していたが、クーデター派はこの尼寺にすぎない通玄寺も襲撃に及びました。

そしてここで襲撃部隊は残忍な仕打ちをしました。彼らはここに避難していた将軍後室、その女官達、さらには義稙姉をはじめとした寺の尼達に至るまでの衣服を全て剥ぎ取って京の町中に放り出したのです。

丸裸にされたこの高貴な女性たちは致し方なく、ある者は筵を身にまとい、ある者は経典を体に巻き付け、泣き叫びながらあちこちに逃げ惑い、路頭をさまよったそうです。

『北野社家日記』には「前代未聞の事件であり、筆にするのも憚られる」と、この事件を憤りを持って記録しています。明応の政変で高貴な女性たちに降りかかった悲劇についての記録ですが、当時の荒れ放題の夜盗らが蔓延る京の夜に丸裸で放り出された女性達、そして尼の身包みすら剥ぐ無法者ども・・・女性達はただ丸裸にされて放り出されただけなのでしょうか。

まぁ筆にするのも憚られるとあるので押して然るべきかもしれません。何とも後味の悪く、痛ましい出来事です。