おさいの方・後

正室を押しやって自らが上だと言わんばかりの傲慢な振る舞い、図々しくも親子揃っての贅沢三昧・・・・このような人物が好まれる訳がありません。特にこの時期は既に家臣達の心も義隆から離れています。大内家の中でもおさいの方の評判は最悪だったようです。

義隆の功績をまとめた「義隆記」ではなんと、彼女の生んだ義尊を「御曹司ハ実子ニテハヲハシマサヌト申セドモ証拠ハ更ニナカリケリ」と書き記しされたりもしています。真相は分かりませんが、おさいの方が嫌われていたのは事実でしょうね・・・・。陶晴賢が義隆を隠居させて義尊を新しい当主として立てる、という計画を曲げたのはこの風評があったからかもしれません。

さて大寧寺の変で義隆どころか、父・大宮伊治も殺されてしまうのですが、おさいの方は父親とは違って陶の謀叛を乗り切る事が出来たようです。義隆がおさいの方のために避難場所の寺を手配し、そこへ逃げるように説得したからだそうですが・・・その後、おさいの方はは墨で染めた衣と袈裟を纏い、故人の供養のために毎日念仏を唱えながら暮らしたそうであります。

前回でも書きましたが、人間調子に乗るとろくな事がない、という生きた見本のような人生ですね。