この時代の人質

大河ドラマ黒田官兵衛でも、官兵衛の息子の松寿丸が人質に出されたりするシーンなど、大なり小なりの人質のシーンが挿入されているのを見る事ができました。今回はそんな戦国時代の人質がどのようなものであったかが分かる逸話を一つ、ご紹介します。

天文3年。この年にかねてから念願の宍戸元源と和睦を果たす事のできた毛利元就。これにより元就は、当時服属していた尼子家から離脱し、大内氏に付くことを決心。大内義隆のもとに嫡男・隆元を人質として送り、尼子家との手切れの準備を行っていました。

ここで元就は、出雲の月山富田城に人質として毛利家より出していた光永中務少、赤川十郎左衛門と密かに連絡を取り、尼子と手切れになること、よって隠密に尼子領より脱出するようにと伝えました。この連絡を受けた両人は相談して夜中に忍んで脱出を図りましたが、どこからか情報が漏れたのか富田城の者たちが聞きつけ、脱出する両名を大勢で追いかけてきました。二人は必死に逃げるも追いつかれて打ち合いになり、大楽という所で光永中務少は共の者たち15人と一所に討ち死にしてしまいました。しかしその間に赤川十郎左衛門は切り抜け、無事吉田に帰還したということです。

この時代の人質というものの過酷な役目がわかりますね。松寿丸も半兵衛の機転がなければ殺されていたでしょうし、人質はそれほどまでに重いお役目だったと思うと心苦しいものです。