とある少年

その昔、大内義隆公在命時の話です。

美人になりそうな娘を悪い虫がつかないように尼寺に入れて成長してからそばに置いた一方で(リアル光源氏)、美しい男の子も寵愛していた義隆がかなり熱を入れていた美少年がいました。その美少年の名は五郎。

義隆がどれくらいこの五郎に入れ込んだかと言うと、この五郎の住まいがある富田若山に夜な夜な通ったとまで言われるほどです。富田若山は現在の周南市、対して義隆が暮らす山口館は現在の山口市。この距離は当時では馬で五時間ほどだったとか。(正直その距離を通ったお馬さんに御苦労さまと言いたい)

さてある日のこと。義隆はいつものように富田に向かい、寺で五郎と逢引を重ねていましたが、夜がふけて朝に近づくと五郎が先に眠ってしまいました。義隆は自身の立場を顧みて眠ったままの五郎を置いて帰ることにしましたが、名残惜しいと思った義隆は和歌を読んで五郎に送ってその場を去りました。

やがてこの五郎も成長し、立派な若者となりました。彼は義隆の一字をもらって元服し、数多くの戦で活躍しました。しかしその十数年後、五郎は義隆に対して謀叛を決行して義隆を討つことになるのでした。

この五郎少年こそ陶晴賢です。晴賢がどれほど義隆に寵愛されていたか、そしてどれほど美少年だったのかわかる逸話ですね。