世界に夢を見た男・後

但し玆矩の琉球攻撃に困ったのは九州の勇・島津家です。琉球への秀吉代理としての立場がなくなるだけでなく、琉球交易の利益もなくなるので必死に玆矩による琉球攻撃を妨害し、玆矩の琉球進出は頓挫してしまいました。

さて玆矩は秀吉から貰った琉球守と書いた扇を大事にしていたと書きましたが、この扇を朝鮮出兵の際にまで持って行ったようです。しかもこの扇、何と朝鮮の李瞬臣に奪われてしまいました。そのため、朝鮮側の戦果報告書に正式文書としてしっかりと記載されてしまいました。言ってみれば、外国に恥をさらしてしまったのですが・・・。

因みにこの頃、玆矩は「台州守」と名乗っていました。これは朝鮮から中国に行って、その土地を貰おうとした訳ですが・・・何とも、外国が好きな人物です。

さて玆矩の外国好きはこれだけではありません。城持ちになってからも海外への憧れはとどまる所をしらず、遂にはタイとの朱印船貿易を始め、鹿野城をわざわざ東南アジア産の木材で大改修。城下町の山河にインドの仏跡に因んだ名前をつけ、パダニ(マレーシア)との通商が途絶えた時には勝手にパダニ国王へ手紙を送るという始末。いやはや、この時代にグローバルな男であります。

亀井玆矩、戦国の世には稀に見る、外国に夢を見て生きた人物です。