人論の所業にあらず

さて龍造寺家の大友家包囲網参加の話の前に、少し龍造寺家の話をしていきましょうか。優秀すぎた故にか主家・少弐家に仇成すものとして一族を誅殺されてしまった龍造寺家。ですがその裏には色々な事情がかみ合っていたようです。

少弐家が龍造寺家を誅殺したのには、発言力の強すぎた家をどうにかしたかったのか、龍造寺家が実は少弐家の敵と通じていたとか、など色々な事情があります。ですがこれらは龍造寺家と同じく少弐家の家臣であった馬場頼周が龍造寺家を邪魔に思っていた、というものもあるそうです。それにより甘言を受けた少弐家が龍造寺家を誅殺してしまったという・・・。

主家の命により龍造寺家の居城を包囲して開城を呼び掛けた馬場頼周。彼は開城後、孫を謝罪の使者として、その後は筑後に退くようにと勧告しました。龍造寺家兼はこの条件を受け、一族は分かれて筑後・筑前へと退きます。

が、少弐家はここに攻撃を仕掛け、家兼はなんとか筑後へ逃れたものの、油断していた龍造寺家の一族はことごとく討ち殺されました。その後、龍造寺家の一族の首は城門に埋められて往来の人々に踏ませられるという辱めを受けました。

その後、再び戻ってきた竜造寺は馬場頼周親子を我が子らの恨みと討ち果たします。この時家臣らが彼らの首を同じように城門の前に埋める事を提案するも、家兼は「人論の所業にあらず」とこれを断り、きちんと供養を行ったそうです。

龍造寺家兼という人物の人柄がうかがえる話ですね。