今鎮西の暗殺・前

毛利元就の次男・吉川元春が吉川家に養子にいった経緯は話しましたね。今回はそれにより当主の座を追われた前吉川当主・吉川興経の話です。この話もさりげに元就の策謀が光ります。

安芸北部から石見南部に勢力を張った吉川興経は、「鬼吉川」と称された曽祖父吉川経基の再来とまで言われた剛勇無双の武人でした。特にその強弓は伝説の鎮西八郎為朝に匹敵するとして「今鎮西」と呼ばれていた程であったといいます。

しかしその一方で武将としては無節操で、大内・尼子の間で日和見、離反を繰り返していました。戦国の地方豪族には珍しくない話なのですが、親戚の毛利元就と違って興経の場合には深慮遠謀というものはありませんでした。また新参の部下を可愛がる一方で父親の代からの家臣たちは退けるなどをしていたこともあり、その場次第の無節操さはついに家臣からも見放され、吉川家は元就に乗っ取られてしまいます。

元就は次男の元春を養子に入れた後、興経は本拠から引き離して隠居させます。しかし興経はこれを不満に思ったのか、何やら画策を始めました。このままでは元春を安心して吉川へはやれません。

殺すしかない、元就はそう決断しました。

ついに興経暗殺命令が下ります。しかし興経は無双。元就は慎重に策を練ります。

天文19年9月27日未明、熊谷信直(元春の舅です)と天野隆重の手勢300騎が興経の館を急襲!興経はこれを迎え撃ちます。