伊賀崎治堅の最期と、その妻の最期・1

さて大内家にまつわる逸話と、その関係者になる武将達の話をご紹介してきました。ここで時代こそずっと首、朝鮮出兵時の話になるのですが、大内義隆の自刃で介錯を務めた冷泉隆豊の息子に関係する逸話がありますので、最後にご紹介しておきましょう。

さて時は流れに流れて豊臣政権で行なわれた朝鮮陣でのことです。築城中だった蔚山は慶長二年十二月二十二日明け方頃明軍の急襲を受けました。

父兄を戦で失った経歴を持つ、剛勇の一族である冷泉民部少輔元満は城外の仮営にありましたが、敵に背を見せまいと思ったのか城内を目指そうとはせず、己の陣屋よりも二三町も敵に近い場所で戦死しました。この人物こそ冷泉隆豊の次男です。

さてこの元満にも当然ながら優秀な家臣がついていました。彼らの名は伊賀崎治堅、白松時勝、吉安言之といいます。しかしこの時、彼らは任務で別の場所にいました。もちろんは事を知ると主君の危機と昼夜を問わず馬をとばして駆けつけたのですが、帰りついた頃には刺し違えて死ぬ敵すら引いてしまった後でした。主君の危機におらず、主君の死に目にも会えず、敵の敵すらいないその様に伊賀崎治堅は胸を打って嘆き悲しみましたが、暫くするとこう言いました。