伊賀崎治堅の最期と、その妻の最期・3

さて主君の最期に送れた伊賀崎治堅は、遠い異国の地でその忠義により追腹を切って後を追いました。しかし治堅、日本に残してきた妻が一人おりました。

日本で夫の殉死を知った妻は夫に死に遅れたことを非常に嘆きました。何だか似ているこの夫婦、実は恋愛結婚であり、十九と十五の時から仲睦まじく次の世も共にと二世を誓った夫婦でもあったのです。

この婦人、治堅が朝鮮に立つ時、

「船が沈むかもしれず、無事に渡れても戦で命を落とすかもしれない。自分が死んだと聞いたら後生をよく弔ってほしい」

と言われた時に、

「仰る通り無常の世です。ですが貴方様が亡くなったと聞いてどうして私も生きていれましょうか。すぐに深い谷の淵に身を投げ、来世も同じ蓮の座をわけあいましょう。たとえ輪廻を脱せず無明の業にとらわれたとしても、二人で手をとりあって並んで廻ろうではありませんか」

と答えたという過去があります。それだけ深く愛しあったのですから、遠い地で夫を亡くした事はどれほどに悲しかったか想像に難くありません。ですが彼女には一つだけ心配な事がありました。

当時、仏の教えでは女性の成仏は難しいとされていました。そのことだけが彼女の心にかかっていたのです。