厳島合戦と琵琶法師・後

さていい情報を得たぞ早速報告しなきゃ!となった琵琶法師はこれを陶晴賢に報告。しかし全てが元就の「計算通り」。

数に劣る毛利軍は険しい山で形成された厳島に陶軍を誘い込み、数の優劣を無くした上で敵の船を焼き、退路を断って決戦することを狙ったのでした。

琵琶法師からの情報を受け取った陶晴賢は直前にも、毛利家老・桂元澄から内応の手紙(これももちろん嘘)を受け取っており、厳島に渡ることを決めて弘治元年(1555年)10月2~3万の大軍で厳島へ渡海してしまいます。この時かの名将・弘中隆包が厳島への渡海を反対したのですが、琵琶法師からの偽情報があったため信用してもらえず、却下されたと言います。

その戦の結果は皆さんご存知のとおり。陶軍総大将・陶晴賢討ち死、弘中隆包親子も討ち死、陶軍は約5000人の死者を出して、毛利軍の大勝利に終わりました。

さてここで気になる例の琵琶法師ですが、

「いやあお前ののおかげでわしは長年の思いを遂げることが出来たからのぉ。褒美に塩(死を)くれちゃるわ、ありがたく飲め!!!!!」
「えっ?」(ざばーん)

開戦直前に元就に海に沈められたそうである。めでたしめでたし。

しかし死をくれてやるというのは源義朝の「美濃尾張(身の終わり)をくれてやる」になんだか似ていますね!蛇足!