吉川夫妻の手紙・後

さて引き続き、吉川夫妻が息子・吉川広家に送った手紙の紹介です。この当時まだまだ若かった広家は現代で言えば不良というかちょっと突っ張っていたというか、当時で言えば「かぶいている」状況にありました。しかもそれだけではなく、ややわがままな性格でもあったようです。

広家は他家に養子に出ていたですが、領地が少ないと不満を漏らし、もっと広い領地を持つ家の養子に鞍替えしようとしました。しかし当たり前ながらそんなことが許されることなく毛利本家から待ったがかかり、広家はますます不満に思っていました。そんなむくれてしまったわが子へ、吉川夫妻が連名で手紙を送りました。

 

決して本家を恨んではならぬ。もし、これが承知できなければ毛利・小早川・吉川三家に対し敵心ある者の生まれ変わりであると看做す。

 

内容だけ見ると頑固親父がワガママな息子に怒っているようですが、実際にはもう少し行動を自重してくれよ、というフレーズのようなものであったそうな。

三男・広家は後に人質として秀吉のもとへ送られましたが、元春は後に頼んで返してもらい手元に置きました。手のかかる子供ほど可愛かったのかもしれません。その後、兄・元長が夭折したため、広家が吉川家を継ぐことになります。

手がかかる子供ほど可愛い、吉川夫婦のお手紙です。