塵塚物語より

ある時、義稙公は大納言の某というものを召されて談笑した。そこで仰られたことには

「私は書物を読むのも乏しくはないし、天下の広さを一瞬で見ることも難しくはない。何でも心にかなう四海の主であるので、多くの人民が毎日痛ましきことを訴えに来る。その事は耳に入ると不憫であるが、目の当たりにしたわけではないので身にしみるような哀しみはない。畢竟、自分が苦しんだことがなければ人の悲しみを理解できないものなのだ。私は先年、政元によって苦しめられたことにより下民への労りを思う事を学んだ。これは、死を恐れたわけではないのだが、近くに味方が居ない時は非常に心細いものであった。そこから、鰥寡孤独(身寄りの居ない孤独な状態)の者が普段どんなに無力な心でいるかを推し量ることが出来た。慈悲の心がない者には、生きるかいもない。ましてや天下を知る者ならなおそうではないか。第一に不憫の心を先に立てねばならない。つらつらと古今の歴史について考えてみたが、北条泰時、北条時頼は唯人ではない。我が朝の武賢と呼ぶべきは、彼らの振る舞いであろう。私は壮年の頃から常に下僕を撫で匹夫を憐れむの心を持っていたが、今は我が身さえ心に任せることのできない世の中であるので人々に対してその気持ちを充分に表すことも出来す、時ばかり過ぎてしまった。今少し世の中にあって状況を伺い我が志を遂げたいと思うのだが、月日ばかり過ぎていき人生ももはや終盤となってしまった。終にはその思いも虚しくして、憤りを胸に抱いたまま泉下に行くのだろうと思っている。人々は衰朽の状態になれば自らを察して心を諦めてしまう。だから一日でも生きているうちはその身に応じて人を扶助するべきなのだ」

足利義稙の、下々を想う心についての話です。流れ公方と誹られるも、誰よりも苦労したからこそ人の苦しみが分かった将軍。何とも呼んでいて胸に詰まる話です。