大内夫人のこと

さて衆道方面でドロドロになってしまった大内義隆ですが、その正室との仲はどうであったのか?ここで室町殿物語から二人のエピソードをご紹介します。

大内義隆は防州山口鴻の嶺の御館を普請し、並びに新造に屋形を輝くばかりに磨き立てて夫人を移し参らせて築山の御前と名付けて大切に扱った。けれども姫君は都を恋しく思って事の折に触れては口に出すので、義隆はそれならば当所に都を移そう、と一条より九条までの条里を割り、四ヶ国の大身小身の屋形を甍を並べて造った。

京、堺、博多の商人は軒を争って建て続け、領国の諸侍は朝暮に出仕を遂げ、囲繞渇仰は記すに遑なく、これに加えて諸門跡を始め公卿殿上人、または五山の惟高和尚達を請待し、ある時は和歌管弦の遊び、またある時は詩連句の会を明け暮れの業とし、その他、京都、南都よりも猿楽の名人を呼び下して能芸を尽くさせ、さては茶湯を興行し、和漢の珍器を集めて弄んでいるうちに、国々より諸商人が山口へ到来して日毎に京町が立った。

そのため防州は時ならぬ春が来て花の都と唱えた。京都はむしろ廃れ果てて及ぶ事もなかった。故に山口一条の辻に何者かが、九重の天はここにありとして「大内とは目出度名字今知れり裏の字略せし大内裏とは」と表現したほどであった。

都を恋しがる奥さんの為に山口を京の都以上の都にした大内義隆、正室への愛情が感じられますね・・・。ここまで大事にした奥さんがいるのに男女幼女と浮気を重ねるのだからふしぎ