大内晴持の死と心の傷・1

さて大内義隆が養子として溺愛し、その死によって心に深いトラウマを負ってしまう事になった大内晴持の死の顛末と、その生まれを説明していきましょう。

大内晴持は大永4年、1524年に土佐一条家に次男として産まれました。父は一条房冬。母は側室で大内義隆の姉でした。要するに義隆にとっては実の甥ともなりますね(房冬の父・房家の四男説があるとか聞きますがややこしくなるので割愛)

さて、兄の房基の母親は皇族伏見宮邦高親王の娘でした。要するに晴持はどう転んでも当主にはなれません。血筋の格が違います。この時代の次男三男というものは家を継ぐ事になる嫡男との違いは目に見えて明らかで、晴持も一生冷や飯を食い兄の奴隷となるかどこかに養子に飛ばされてしまうくらいの運命だったでしょう。。

しかしちょうどその頃、母方の実家・大内家には跡継ぎがいませんでした。この頃の大内家は当時の西日本屈指の勢力を持ちあちこちで戦をする武闘派であり、勘合貿易でガッポリ稼いでいて代々海賊との黒い交友があったり、金の力で冠位をもぎ取るタイトル王でニート公家の保護活動を行なってたり、某王族の末裔を称したり、とマルチな活躍をしていました。

そして晴持はこの大内家に跡継ぎとして養子に行く事になったのです。

正にシンデレラストーリーでしょう。その顛末さえ見なければ・・・