大内晴持の死と心の傷・3

尼子軍に敗れてしまった大内軍は命からがら撤退していきます。しかしこの撤退の最中、運の悪いことに晴持は義隆とはぐれてしまいました。

さてこの大内軍の撤退は船に乗って行われました。義隆の乗った船は武将として名をはせた冷泉隆豊が乗っており、彼が薙刀を振り回し船にしがみつく兵士の腕をなぎ払っていったとあります。こうして義隆は無事生還を果たすのですが一方晴持の船はというと・・・なんと 船に乗って逃げる時に、後から後から味方の兵士が詰め掛け船が転覆し沈んでしまいました。この時甲冑を着ていた晴持はその重みで溺死してしまったのです。一説には一旦は蘇生するも、やはり間も無く死んでしまったとあります。

義隆は初陣で死んだこの世継の死を嘆き悲しんで、晴持を供養する時に足利義晴に頼み今度は「義」の字 を与えて、再び「大内義房」と改名させてして供養しました。 死んだ養子に将軍の偏諱を与えたのです。此処までするに当たって、義隆がどれほど晴持を可愛がっていたか伺い知れますね・・・。

その後、晴持の死が堪えたのか義隆は政治を評定衆と呼ばれる家臣団に委ね、大内家は次第に衰退していってしまいます。 晴持の死は義隆の人間性を変え、その後の大内家の命運を大きく変えてしまったのという事です。