大内義興の帰国について・前

将軍を上洛させ、京の地を取り戻すもその内厄介者扱いされ自国へと帰った大内義興。しかし上洛直後には大変頼りにされていたようで・・・・。以下、三条西実隆の日記、『実隆公記』より、朝廷側の動きを見てみましょう。

7月23日 晴れ。夜になって小雨。

午後、阿野季綱が来る。大内義興の周防への帰国は決定的だという。帝が勅命で留まるように仰らないのは好ましくない。この事について内々に申し入れをする。帝直筆の女房奉書を発給して頂くこと、そして大内義興のもとに伝奏を派遣して頂くこと、また私も内々に義興の元に参上するということの詳細などを内談した。そして、夜になってから小直衣に浅葱色の指貫を着て、義興のいる六角の宿所に向かった。そこで勅書の旨に任せて対話をした。神代紀伊守が出て来たので、彼に対して重ねて、京に在留することを説得した。そのうちに右大弁相公もやって来て、私と同じく勅命の内容を伝えた。その間のことについては、ここに記すことはしない。

今夜、大内義興の元に参上するという行為をすることに、我々の間にためらいがなかった訳ではない。しかし、確かに世間の称賛やそしり受けることは確かに堪え難いことだが、今は天下のために、全ての事柄を忘れて行ったのである。『道を守ることは簡単である。しかし、世評に応じることは難しいことだ』これは古の賢人の格言であるらしい。実に厄介なことである。浮世の交わりとは誠に無益なものである。

帰宅の途中に、長橋局に直接参上し、勧修寺尚顕と三条西公条も同道した。私の家で、冷泉政為、甘露寺元長、姉小路済継らが、先の件について聞いてきたので、おおまかな事情説明をした。

24日 晴れ

早朝、帝が新大典侍を通じて私が昨夜、義興を慰留した件について色々と感謝の意を伝えられた。

25日

賀茂在重が来て、大内義興が先日の夜の一件について大変忝なく思っているということを語った。今日、大内雑掌を召し寄せて義興に帝の勅命の詳細を伝えたということらしい。

長いので二つに分けます。