大内義興の帰国について・後

28日 晩になって、阿野季綱が使者を送ってきて、

「今日、大内家家臣の陶興房と神代紀伊守らが室町殿(足利義稙)のもとに参上して、もろもろの御裁許を恐れ多い事だと申された」

と伝えてきた。これで大内義興の帰国は確実に無くなった。非常に目出度い事だ。また、河州での合戦で尾張守が勝利した。実に神妙な事である。

30日 曇り 夜になってから激しい雨

早朝に賀茂在重が来て、ちょっとした報告があった。阿野季綱から使者が来て、本日、大内義興が我が家を訪問するという事を、内々に知らせた。夜になってから、大内義興が太刀を携えてやって来た。彼は先日の夜の事に感謝の意を表した。私は、この訪問について武家伝奏を通じて詳細を報告する事を語った。義興は神妙なおももちで、重々しく感謝の意を表した。

大内義興は烏帽子をかぶり、自ら携えた太刀を私に贈った。私は、座った敷物の上で大内義興が帰るのを見送って感謝の意を表した。その後、大内義興が来られた旨を、手紙で勾当内侍に報告した。今日は、玄清庵で宗祇の追善連歌が行われた。私は発句を所望されたので、それを送った。そして、酒一荷三種も送った。

この時の発句の内容は以下です。

『とをき世もかゝらは風の葛葉かな』

必死に義興を引きとめた朝廷の様子が分かりますが、この時引きとめられず帰っていたら後の世の尼子家や毛利家は無かったのか・・・と思わせますね。歴史にifはありませんが、ここが後の中国地方の覇者達の一つの分岐点となっているのですから面白い事です。