大内義輿と村上水軍・後

さてこの平和な当時の人達にとって憧れの島、日本の武装した兵船が押し寄せるとすぐに通詞を出して和を請い日本に服すことを約束しました。このため何事も起こらずこの遠征は終わったのだですが、これには理由があります。

この当時の日本船というものは外国船に行き当たればそれに押し寄せ攻め立て、資財を出させてそれを奪い取り、嫌だというものには攻め懸けて船を乗っ取って・・・最早海賊ですねこれは。

まぁ当時の日本船と言うものは大体がこんなものであったので、異邦人でも日本の兵船の言うことを聞かない、という者は殆どおらず、海上において日本船に行き会うことを恐れない船はなかった、とあります。そのためにこの島も、あえて日本船と戦おうとはしなかったのではないでしょうか。誰しも平和を脅かされたくはないものです。あれその島を平和だから帰りたくないってなんて矛盾

話を無理に変えるようですがこの頃の日本船、皆八幡宮の文字を書いて旗印としていました。このため異邦人の人々は、日本船をさして八幡船と言うようになったそうです。

大内義興の命による瀬戸内水軍の連合軍によってなされた、とある島への遠征についてのお話。もちろん皆さま、この当時の瀬戸内水軍を村上水軍と呼ぶのはご存知ですね。