大内義長と大内家の顛末・前

さて陶晴賢の死後、大内家もまた滅亡の一途を辿ることになるのですが、今回はその大内家の滅亡への顛末をご紹介していきましょう。

まず大寧寺の変により陶晴賢は主君・大内義隆を自刃させると、晴賢は大友宗麟の弟を「大内義長」として当主に据えました。もちろん、建前だけは主君であり、ただの傀儡当主です。こうして家中の実権を握った陶晴賢ですが、この体制はさほど長くは続きませんでした。

まず前々から仲の悪かった豊前守護代の杉重矩との対立が再び表面化。晴賢は合戦の末に重矩を長門にて滅ぼしましたが、今度は石見で吉見正頼が挙兵しました。これに呼応した毛利元就に散々翻弄されたあげく、安芸厳島でついに敗死したのは今までの記事でも何度も説明してきましたね。

さて晴賢の死後も大内義長は健在だったのですが傀儡当主の彼では家中をまとめきれず、毛利による急激な侵食に対処しきれずにいました。そんな折、杉重輔が陶氏の富田若山城に突如攻め入り、晴賢の嫡男である陶長房らを討ち取ってしまったのです。陶一族を滅ぼすことで父親の敵討ちと毛利との関係修復を同時に実現しようという意図のものでしたが、これは大内義長の関知していない勝手な独自行動でしかありませんでした。