大内義隆の母

古今東西どんな英雄であろうと悪人であろうと、誰しも母親というものはつきものです。もちろん山口の色狂・・・大大名、大内義隆にもちゃんと母親がいました。この方、夫にこそ先立たれてしまっていましたが長生きしており、大寧寺の変が起こった時も存命していました。(良かったのか悪かったのか分かりませんね・・・)

さて彼女は乱から逃れるため義隆とは別れて真如寺に避難していたのですが、息子・義隆の無事を思い煩い、気を失って倒れてしまいます。この報は陶軍からの逃亡中で法泉寺に立ち寄っていた義隆にも知らせられました。兵達は追って来ているわ今後の事で揉めに揉めているわで大混乱の義隆でしたが、母の一大事を聞いてすぐに医師を真如寺に派遣するように命じました。自らが危険な状況でも、やはり母親は大事な存在だったのですね。

しかし数日後、ご存知義隆は自刃する事となってしまいます。

それでも母は一命を取り留め、陶晴賢の乱から八年、そして大内氏滅亡から二年の永禄二年(1559年)六月十一日まで生きることとなりました。夫に先立たれ、息子に先立たれ(しかも理由が理由)、大内家が滅んでいくのを彼女は一体どんな思いで見ていたのかは、誰にも窺い知ることはできません。