女丈夫・百武賢兼の妻圓久尼

今回は沖田畷のその後の、龍造寺四天王の一人・百武賢兼の妻のお話を一つしましょう。賢兼が大恩ある蒲池攻めをした際に、隆信の出陣要請を無視する夫に具足を投げつけたあの奥さんです。

龍造寺隆信の死後、大友方の武将達もまた隆信の領地に攻め寄せて来ました。領内を攻めあらす大友家は、賢兼が守っていた蒲船津城に押し寄せて来ます。この時城に籠っていたのは、沖田畷で夫を失い未亡人になっていた圓久尼でした。夫亡き後、彼女は鍋島直茂の命により夫の在世時と変わらずこの城を守り続け、女城主となっていたのです。

この圓久尼、女ながらに比類なき豪の者と言われ、背は高く髪は長く、大力であり荒馬も乗りこなすという人物でした。流石は百武の妻、女傑ですね。

この時圓久尼は累代の家人達を引き連れて城にいたのですが、大友家の来襲を聞くと大薙刀を横たえ城の戸口まで出て、味方を励ましながら頑強な防戦を行いました。圓久尼は良く城を守ったようで、榎木津要塞より援軍が来るまで城を守り通し、援軍が来た後は共に戦って大友家を退けました。大友家の者達も蒲船津城の攻略は諦めて坂東寺へと撤退しました。

夫の亡き後も、気丈に城を守った女丈夫・圓久尼。百武の妻の名に恥じない働きです。

しかし九州、色々な意味で女性が強い逸話が多いですね。九州男児を陰から操るのは、九州女傑と言った所でしょうか。