嫡男の苦悩・後

右の理を更に深く理解せずに迷っておりましたので、速やかに分別して悟りました。誠に恐れ多いとは思いますが、確かに現世・来世の二世共にお頼みしたいので、私の念を残すところ無く申し上げました。重ねてお頼み申します。恐惶。

天文廿三 三月十二日 拝進 恵心公

足下 タカ元(花押)

出典は毛利家文書の七六一、「毛利隆元自筆書状」から致しました。ことごとく後ろ向きでネガティブな内容でありながらも、「でもこんな風に書いてますがいつもは頑張っています」と書いていて、本当に彼の生存時は毛利家が上手く回っていたことを考えると、そんな風は周囲には見せようとせずに頑張っていたのでしょうか。だからこそここまで思いつめてしまっていたのでしょうか。

父・毛利元就が以前、どこか心配性だ、と書きましたが、息子の隆元は心配性をこじらせていて、誰にも打ち明けられないままだったのかもしれませんね。つくづく途中で亡くなってしまったことが残念な武将であると毛利隆元に関しては思わざるを得ません。

因みにこのまるで遺書のような手紙は、その死後、毛利家に送られて読まれることになります。その際の元就と弟・隆景の反応もありますので、また別の機会にご紹介したいと思います。