宍戸氏との和睦

さて毛利元就は次の政策に出ました。それは嘗てより色々あった宍戸氏との和睦です。元就の毛利家と宍戸家は長年国人関連で争ってきましたが、いつまでもこのままという訳にはいきません。実はこの和睦に関しては父・弘元在命時から言われてきたようですが、兄である輿元もその嫡男・幸松丸も早世してしまったので仕方のない事でしょう。

そして天文三年、元就は同じ安芸国内で対立していた宍戸元源と和睦を果たすと、翌天文四年正月18日、和睦の御礼として供廻り50人足らずで宍戸氏の居城・甲立へと訪問ししました。吉田と甲立の間は一里ばかり離れていたので先ず御遣いのものが遣わされ、それに対応するため宍戸家からも人数が甲立城下川端まで、御案内のために出されました。彼らは毛利家の使者が口上で元就の御出参と伝えると、それに相当の返答をし、元就は直接に城に入りました。

城では元源親子が揃って元就を待っており、一礼がすむと、様々なご馳走で元就を歓待してくれました。手厚い招待を受けながらも食事を済ませたら城を立つ予定だった元就も、だんだんと元源と話をしている内に気分が盛り上がってきたようです。

「この様に心安く対話ができるとは一世ならぬ奇縁だと思います。出来ましたら今夜はこちらに留まらせて頂き、終夜あなたの物語を聞きたく思います」

この言葉に元源は大変機嫌を良くし、夜陰になっても様々なお馳走を用意して元就をもてなしただけでなく、その後寝所までも同じにして元就・元源は枕を並べて、終夜雑談をしようということになったという事です。

何だか話が盛り上がっちゃったから泊って行けよ!なノリは、戦国時代でも現代でも一緒なんだと思うと面白いですね。