宗像氏と呪いの怨念・終幕

本人以外の行なった所でどんどん窮地に追い込まれていった氏貞ですが、その後の道雪の病死もあり、その際には旧宗像領地を取り戻したりと必死に家を守り続けていました。ですがそれも、秀吉の九州征伐の際に全て無に帰します。

この年、氏貞は病死。奥方と氏貞の間には嫡男が無く、結果として秀吉の九州介入により六百七十年、七十九代も続いた宗像氏は断絶しました。氏貞以外の宗像の血は絶えていたので、致し方の無い事でしょう。

しかしこれでも尚怨霊は現れ、氏貞の未亡人を悩ませる事となりました。この怨霊を何とかなだめようと、未亡人は増福院という寺に六体の地蔵を寄進しました。あの日、惨殺された人数と同じ数のお地蔵様です。今もその地蔵は増福院の本尊として残っていますが、これもあまり効果は無かったようです。奉納した後に行なわれた大法会の後、それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されたとの事です。

これも宗像氏を恨む怨霊の仕業であると、人々はそう噂しあったのでした。

こうして宗像の一族は滅びました。始まりは少弐家を呪い、その一族を絶やした宗像家。ですがその後は自らの一族をも呪いによって滅びました。

正に人を呪わば穴二つ、皆さんもお気を付け下さいね。