宗像氏と恨みの怨念4

さて時代は動きます。天文二十年。当時の宗像氏の当主であった宗像氏男は大寧寺の乱で大内義隆の自害に殉じて亡くなってしまっていました。(この宗像氏男は氏佐の孫とも言われています)

さて、当主が亡くなったら大体起こるのが家督相続問題です。この時宗像家は揉めに揉めていたようです。何故なら氏男は家督を継いでから僅か四年しか経っておらず、伯父の宗像政氏の娘である菊姫を正妻としていましたが、二人の間にはまだ子供がいなかったのです。そこに大内義隆を討った陶晴賢より一人の少年が送られてきました。

その少年は氏男の伯父である、政氏の側室の息子だというのです(この側室は陶晴賢の妹)。

これにより宗像家はより一層揉めに揉めました。特に亡き夫の隠し子の存在を知った正氏の正室・山田の局の怒りは凄まじく、この少年を国へ追い返そうと兵を差し向けました。が、陶晴賢もそれは予測していたのでしょう。向かって来る刺客共を返り討ちにし、敵対勢力の城まで落として白山城に入ってしまいました。

その後、反対勢力は半ば力ずくで抑え込まれて粛清され、少年は宗像氏貞として家督を継いで大宮司になりました。ここから、何の因果か血生臭い歴史がまた一つ生まれてしまいます。