宗像氏と恨みの怨念8

折角比叡山から高僧を呼んだのに祈祷は失敗に終わり、それ以降も度重なる不運に氏貞は何度も山田の局達の慰霊に努めます。「親の因果が子に報い」とは言いますが、氏貞自身は与り知らぬ事なのにこんな事になってしまうとは不運ですね。母親も息子の為に良かれと思ってした事が(結構な悪意と嫉妬も見え隠れしますが・・・)、返って息子を苦しめるとは思っていなかったのでしょう。その後の慰霊も、どれも上手くは行かなかったようです。

これより以後、宗像家は段々と傾き始めていきます。宗像家譜代の重臣達は誰もが病にかかったり、謎の発狂をしたり、はたまた討死してしまったりとその全てが氏貞の代の内に耐え果てました。

同時に勢力を伸ばす大友家に従う事になった氏貞は、豊後三老と呼ばれる臼杵鑑速の娘であり、大友宗麟の養女となった女性を妻に迎え入れて、そして妹のお色の方は立花道雪の側室になりました。この縁組はもちろん同盟の為であり、側室というよりは人質のような状態であったのでしょう。お色の方も家の為に嫁ぎました。また氏貞はこの時家臣の一人を同盟の条件として殺害しています。これは苦渋の判断であったのか、その遺児達を宗像の一族と同じ扱いをして取り立てています。

しかしこの時同盟の婚姻時、兄の氏貞がお色の方の化粧料として立花家に贈った西郷・若宮の領地が悲劇の発端となってしまうのでした。