寧波の乱・後

宗設と大内家の者達は突如、細川方の船を襲撃しました。この襲撃により鸞岡端佐は討ち殺されてしまいました。この時、運が悪かったのか判断が悪かったのかそれとも人が良すぎたのか、明の官吏が細川方を助けて抵抗してしまったのです。

この抵抗が火に油を注ぐ結果となってしまったのか、宗設はさらに寧波の港を焼き討ち、さらに紹興城へ逃れた宋素卿を追いかけて行き、そこで止めに入ったのか明の役人まで殺すなどやりたい放題に暴れまわりました。こうして大陸で暴れ舞った後、彼らは溜飲が下がったのか悠々と日本へと帰っていきました。

さて、哀れなのは細川方の副使・宋素卿です(巻き込まれた人達も十分に可哀想ですが)。大内方の手から逃げ切ったのはいいものの、明の政府はこの騒動の責任を彼に取らせる事にし、栄素卿は投獄されたのち、獄死します。

この後、この事件は明と日本の深刻な外交問題となってしまい(まぁそりゃそうですね)、日明貿易の停滞から倭寇が活発化する原因になったりもするのですが・・・・。

ともかくも、海外でも自重しない戦国武士の現地の人には大変迷惑なお話でした。武士は面子を大事にするとは分かっていても、少々過激すぎる気がしますね。