尼子義久のその後・前

さて少し尼子義久のその後の逸話をお話しましょう。永禄9年。武運つたなく尼子義久は毛利に敗れます。義久らは重臣と共に毛利に下り、幽閉されることになりました。この時、義久は尼子家家宝の銘刀・荒身国行を毛利側から必死に隠しました。国は取られても家の誇りは取られたくない、義久はこの刀を守り通しました。

しかし天正16年。ついに刀の在処が発覚します。

毛利元就の孫、輝元が隠し持っている国行を渡してくれと義久に迫りました。なんと尼子家秘蔵の刀を太閤秀吉に献上すると言うのです。断ろうにも自らの命を握っているのは毛利側、所有がばれた以上、刃向う事は義久には出来ませんでした。

「分かりました、お譲りいたしましょう。ですがその代わりに、輝元殿に家宝の存在を教えた者の名を教えて頂きたく思います」

「家老の大西十兵衛だ。義久殿は、よい家臣をお持ちであるな」

こうして16年間、懸命に隠してきた刀は毛利に奪われてしまいました。しかもそれは天下人への媚びへつらいに使うと言う。必死に隠してきた家宝は家臣の告げ口により奪われてしまったのです。国も、家の誇りすらも毛利に奪われてしまった義久の胸中はどの程だったでしょう。そうして義久は、刀を取りました。