尼子義久のその後・後

尼子義久ご乱心。突如「乱心した」義久により、尼子家の家老であった大西十兵衛が切り捨てられました。もちろんその理由は、家宝の存在を毛利輝元にばらした事が原因であるとは周知の事実だったでしょう。義久は主家の家宝を毛利に売った大西を許さなかったのです。最後の戦で幾人もの重臣が毛利に裏切った事の憤りもあったのかもしれません。

その翌年、義久の幽閉生活は終了します。これ以後、義久は人質ではなく毛利輝元の客将へと立場が変わりました。

そして義久は、その刀の件の真実を知る事となるのです。

「今こそ話せる事だが、大西十兵衛が家宝の事を話したのは義久殿を思っての事だった。家宝の刀の在り処を教える代わりに、義久殿の幽閉を解いてくれと大西はあの時私に掛け合ってきたのだ」

この残酷な真実を知った時の義久の胸中は、一体どれほどの事だったのでしょうか。

家臣に裏切り続けられた義久の元にも、今だ忠臣はいたのです。奇しくも大西はこの当時80を超えていました。主君への最後の奉公としての密告だったのでしょう。

義久は十兵衛の忠義に感謝し、その嫡孫・新四郎に大西家を継がせるとともに、その後大西家を手厚く遇したそうです。

因みに太閤の手に渡った国行は、その後、大谷吉継の元へと渡ったそうです。