屋山の小袖

高橋紹運の部下に、屋山中務少輔種速、通称屋山中務という武将がいます。紹運の腹心であった彼もまた、岩屋城で壮絶な討死を果たしています。

そんな彼には太郎次郎という息子がいました。岩屋城の戦いの際に彼はまだ13歳。本来ならば避難する所を彼は母親に無理を言って父親とその主君が残る岩屋城に、母親と共に留まりました。

間もなく激し戦が始まり、太郎次郎の父、屋山中務も壮絶な討死を遂げたという報告が入りました。父の討死を聞いた太郎次郎は母親の制止を振り切り、一人で島津軍に切りかかっていきました。幼い子供を切る事を忍んで、島津軍の兵達は何とか生け捕りにしようとしましたが太郎次郎は手がつけられず、最終的に一人の兵が一太刀で太郎次郎を切りました。これは、少しでも苦しませずに、という思いだったのかもしれません。

しかし夫に続き息子まで失った母親はその場に倒れてしまいました。彼女の手には、息子の着物の片袖が残されていました。息子を止めようと必死に掴んで切れた片袖です。彼女は日々、その片袖を眺めて残りの生を生きたそうです。この太郎次郎は岩屋城戦死者名簿の中にその名が刻まれています。

そしてその片袖は、「白麻地藍文」として屋山家子孫の元に秘蔵されているといいます。

苛烈な夫人の逸話が多い九州ですが、このような話もまた、多くあるのです。