山中鹿之助の母・後

当時、鹿之助の仕えていた尼子領内は毛利方に圧迫されている状況であり、鹿之助の家もそんなに裕福な状況ではありませんでした。それでも鹿之助の母親は息子の友人達の面倒をいつも見ていたと言います。

そして長い年月が流れました。惜しくも尼子は毛利に敗れ、その家臣達も散り散りになってしまいました。しかし鹿之助、主家である尼子家を再興させようと立ち上がります。この鹿之助の決起を聞いた昔の仲間達はこぞって鹿之助の元へと集まって来ました。

この時集まってきた仲間たちこそ、幼い頃戦ごっこをして遊んだ仲間達であり、鹿之助の母親がいつも面倒を見ていた子供達でした。彼らは鹿之助と、鹿之助の母親から受けた恩を忘れていなかったのです。そして鹿之助の手伝いをしようと駆けつけてくれたのです。正に母親の愛が、息子に勇敢な仲間達を授けてくれたという逸話です。山陰の麒麟児と言われ、十人以上いる事で有名な尼子十勇士を率いて主家の再興の為に必死に戦った山中鹿之助。その陰にはこの母の姿があったのですね。

そしてこの時集まった者たちこそ、後の世で尼子十勇士と呼ばれ名をはせた者達だったのです。山中鹿之助と尼子十勇士、そしてその母の愛と教えという逸話です。