当時の宿老の反応

所で大内義隆が占いや衆道やらに窯かけて政務を疎かにして、寵童であった陶晴賢によってクーデターを起こされてしまったのは皆様よく知る事になったと思われますが・・・・この時、他の宿老達は一体どうしていたのか?皆陶についたのか?つかなかった人達はどうしたのか?今回はその事が窺い知れる逸話をご紹介しましょう。

さて大寧寺の変により、陶晴賢に追いつめられた義隆。そこで彼が頼ろうとしたのが、長門守護代を務める家中の重鎮・内藤興盛でした。内藤氏は義隆の母方にあたり、毛利元就嫡男・毛利隆元に嫁いだ義隆の養女・尾崎局はこの興盛の娘にあたる人です。また、義隆と同じく、文人としても優れていた人物です。義隆とも中々縁深い人ですね。

義隆は興盛に助けを求めまたのですが、その時の興盛の対応は、

「今更何を申されても遅い。殿に置かれましてはそうそうに腹を召されるがよかろう」

と救援を拒否。結局義隆は自害に追い込まれてしまいます。

因みに少し前にも出て来ましたが、この興盛だけでなく普段陶晴賢と対立していた杉重矩ですらここでは陶晴賢に合力しているので、この時の大内家中の雰囲気が相当なものであったことが窺えます。滅びる時には理由がある。そう思わせてくれる逸話ですね。