応仁の乱と和議・3

和議には一つだけ、条件がありました。それは、

「武田国信は丹後守護職を一色義春へ返付する」

というものです。

丹後の地はもはやただの土地ではありません。武田家が多くの家臣の血を流して獲得した土地です。国信も失いたくはなかったでしょう。

しかし家中建て直しのためには和議が必要です。その上これ以上戦を継続する力もありませんでした。加えて仲介役となった以上は言いだしっぺがごねる事はできません。国信は家のために、この条件を呑まざるをえませんでした。

しかしおさまらないのは現場指揮官だった逸見真正です。大乱では大事な後継者を喪い、命がけで働き勝利して制圧した丹後も、戦に負けてもいないのに敵にくれてやらなければならない。自らの働きは何一つ報いられない。

真正ら丹後戦線の部将たちは、国信の撤兵命令を拒否して丹後に留まりました。一方、和議成立により大義名分を得た一色勢は勢力を盛り返し、未だ国内に留まり続ける若狭勢に攻撃を仕掛けてきました。名分のない真正らは次第に追い込まれていきます。それでも、主君・国信はこの状況を見ながら援軍を出すことは出来ませんでした。なぜなら既に和議は成立したのです。

半年後。文明6年9月、丹後戦線主将・逸見真正は丹後において自害。

その後国信は出家し「宗勲」と称しました。忠義を尽くしてくれた部下への、せめてもの報いと償いだったのでしょう。