戦国の異名と、魔王・3

さて歴史に戻りましょう。ここから魔王・武田光和の生涯をざっくりながらも追っていきます。

1523年、尼子経久が安芸中部の鏡山城を落とした事で安芸の大半は大内から尼子の勢力下となりました。そしてその翌1524年、大内義興は安芸を取り戻すべく経久が伯耆に出兵した隙に安芸西部の桜尾城、そして武田光和の居城、佐東銀山城に出兵します。

佐東銀山城を囲むは大内家の柱石・陶興房とこの戦が初陣の大内義隆、そして彼らが率いる兵は1万5千。光和が率いる篭城軍は3千・・・この時点で五倍近い兵力差です。

しかし6月25日の緒戦では援兵として来た熊谷・香川の兵千余りが敵の抜け駆けを察知して大内方の杉・問田氏率いる千5百余りを撃退。それから7月に入り光和率いる篭城軍3千は何度か大内側と合戦を行いました。その中先陣に立って奮戦した人物こそ、城主・武田光和その人です。

自らの武勇を頼みに大内方の兵を斃す光和。しかし当然その話は大内方にも知られ、ならば何とか討ち捕ってしまえと作戦が立てられます。中国地方で敵無しと評判の豪傑・若杉四郎三郎と、やはり大力で知られたその弟、または大黒新允と言う大力の者や大内義隆の近習で打物達者と言われた者を加えて、彼ら4人が囲んで光和を斃す作戦が立てられました。

さて光和はどうなってしまうのか?