毛利、動き始める

何とか豪族達の反抗を収めようと、陶晴賢はいくつもの手を講じます。その一つが、あの山田事件で有名な北九州の宗像氏の件です。晴賢は宗像氏を取り込もうとしたのか、妹と妹の産んだ宗像氏貞を宗像に送り込みます。一説にはその妹達の地位を盤石化するために晴賢が山田事件を指示したとも言われています。しかしこれにより宗像氏のその後は悪化の一途を辿ってしまうのですから、晴賢という人物は介入する動き全てが何だか裏目に出ていくんですよね・・・本人は一生懸命そうなんですが・・・・。

そして天文23年、大寧寺の辺から三年後。義隆の姉を正室としていた石見の豪族・吉見正頼が、反晴賢の兵を挙げます。晴賢も直ぐにこれを制圧しようとするのですが、これと同時に安芸で毛利元就が動き始め、勝手に大内領の城を攻略して安芸を乗っ取ってしまいました。元就は尼子も無く、大内も倒れた中国地方でその動きを活発化していきます。

因みに実は、晴賢は義隆を討つ前に元就と密約を結んでいました。その内容は「義隆を討った際に生じるであろう各地の争乱の鎮定に、毛利家も加勢してほしい。その見返りとして安芸国内の施政権を認める」というものだったといいますが、これは明らかに勝手すぎる行動。晴賢は毛利に不信感を抱き始めます。(もう遅い)